お盆で實家を廻った際に、92になる祖父から大東亞戰時の貴重な話をたくさん聞いてきた。その際にボロボロな紙焼き寫眞を託された。これは死んだ兄貴のたった一枚だけ殘つた寫眞だから、これを飾りたいから伸ばしてくれ、と。
撮られたのは恐らく昭和15年辺り。撮ったのは祖父が當時の初任給をぜんぶぶち込んで購入したといふオリンパスのカメラ(機種不明。セミオリンパスII?)か。ブローニーのネガフィルムを元にお店でS判の印畫紙に伸ばしてもらったものであらう。場所は恐らく、當時の家の前の納屋(今もある)の前のやうである。追記:どうやら話をさらに聞いていくと、これはブーゲンビル島で軍に撮ってもらったもののやうである。封筒に入って現地から送ってきたという事であった。なんとまぁ・・・
ただ、顔から胸にピントがあっている割に足元がピンボケしているから、大型寫眞機(ブローニーまたは4×5)を煽ってピント面を斜めにし、顔周辺だけに嚴密に合わせ撮っている可能性がある。なんでそんな事をしてるのかは不明だが、流行つてたのだらうか? その場合一體誰に撮つてもらったのか? もはや不明である。
但し、はつきりしているのは、この後ブーゲンビル島に行つて戰死する直前に撮ったもの、といふ事である。階級章を見ると星が二つ、一等卒であらうか。しみじみ見ているとつい最近撮ったもののやうにも思へてくる。明治大正生まれの祖父からすると結構最近の事といふ感覺なのだらうか。
紙焼きを見るとかなりボロボロだが表面は割れておらず、そのまま持ち歸りスキャナーで讀み取ることが出來た。但し、等倍で見ると伸ばした時+經年で付着したゴミやらが凄く、Lightroomのスタンプツールで地道に消している。モノクロではあるが、256段階しか表現できないJPEGごときにこの風合いが出せるはずもなく、色味は殘した狀態としている。
綺麗に化粧直しした畫像を改めてじつくり見ると、滑らかで豊かな表現にうっとりとする。多少セピア調に變色している。これを見ていると昨今のデジカメが演出する「セピア調」がいかに虛飾にまみれた淺薄な兒戲である事かと、文化の逆進に背筋が凍る思いである。寫眞文化はこの昭和10年代から昭和40年代末くらいまでが全盛期となり、その後は御存知の通りの轉落ぶりである※。
難しい話はさておき、このやうに70年前くらいの寫眞がふつうの家庭に無事殘存しているといふ事實は驚愕に値する。色抜けしないモノクロ寫眞の耐久度に俄然に興味が湧いてきた。これまで直接感光するリバーサルフィルムを中心に撮つてきたが、ネガ-ポジ反轉法である紙焼きにも遂に手を出す日が近いのだらうか。その前にモノクロ撮影に勤しむべきか。
※自然光を元に感光體を直接「焼く」つまり化學變化させるといふ寫眞の原點を考へた場合、ベイヤー型センサー情報を元に繪と色を人爲的に演算し組み立てていくデジカメなんぞは寫眞といふ範疇にすら入らないと思ふのだが、經驗上この論に賛同される・されないは半々くらいである。