フィルムは死なず

 昨日プロ寫眞機材屋のナショナルフォートのサイトにて、富士フィルムの中判フィルム規格である120の大規模な發賣中止のアナウンスが掲載されました。(現在では削除されています)

 月イチ會のarataさんのご盡力によりそれは誤報であり、單品1本賣りが無くなるだけ、といふ内容だった、という話でありました。

 私が120でよく買うリバーサルのASTIA 100F、Velvia 100F、PROVIA 100F、そしてカラーネガのPRO 400は5本賣りがあるのですが、REALA ACE、PRO 160NCやPRO 800など、そしてモノクロネガのNEOPANやACROSには5本パックが無く單品1本賣りであることから、新たに5本パック登場が期待できるというおまけ付きです。パック賣りの方が全般的に安價であるため、これは逆に大變嬉しい出來事でもあります。

 さてフィルムの消滅が危惧されて早10年、Blogを見廻せばフィルムはいづれ死に絶えるといふ論調もまだまだ見受けられます。が、依然として中判フィルム以上の解像度とコストパフォーマンスに優れたコンシューマーデジカメは登場しませんし、APS-C型または35mmフルフレーム型が主流で經濟惡化によって市場が収縮し安價モデルが席巻しているデジタル一眼を見る限り、將來的にもこの構圖はあまり變はらないのかもしれません。

 私自身はそんなことはさておいたとしても、フィルムと機械式カメラによる寫眞撮影、といふ極めて趣味性の高い行爲に滿足している現状であります。單體露出計でEVを計り、シャッター速度と絞りを設定し、撮って巻き上げる。小型・中判カメラならかういふ手順ですし、大型カメラであればもっともっとめんどくさい。

 しかしそのめんどくさい手順を經て得られる物は光を寫し撮った唯一無二の寫眞=フィルムであります。インチキレタッチの無い貴重な一枚。その貴重な一枚を撮るためにせっせと機材とフィルムを背負って今日も出かけるのであります。單純明快。

 丁度LPレコードのプレイヤーと針が無くなると20年くらい前に叫ばれてましたが、今でもバッチリ殘ってますし、逆にCDの方がダウンロード販賣によって市場から消えやうとしています。趣味性の高い嗜好品は数が捌けないとしても需要が途絶えることは無い、といふ好例でもあるのでせう。

 ポラロイドの復活も果たしました事ですし、この趣味性に關する需要がある限り、フィルムは生産され續けるだらうと信じてゐます。

 だから、今日もフィルムを使ひます。消費は投票行爲です。みんなも、たまには使はうよ!


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コメント

“フィルムは死なず” への3件のフィードバック

  1. arataのアバター

    CDの話、確かに!
    …デジタル画像のデータがデカクなればなるほど,そして数が増えれば増えるほど、フィルムの利便性に気がつきます。デジタルで膨大に撮っている人が実はそのことに一番気が付き始めているのです。まだ内緒にしているようですが…

  2. rockcapeのアバター

    >arataさん
    うちの電子データは正直「不良資産」扱いです。全体でテラバイトを越えると管理が恐ろしく大変だし、1枚500MB〜GB越えのスキャンデータはデュアルコアXeonでも悲鳴を上げてます。Blu-rayでのバックアップも投げ出したくなります。

    残念ながらこの辺りが現時点でのデジタルの限界かと。5年後に改善されていればいいんですが、ムーアの法則も万能ではありませんので・・・

  3. じふのアバター
    じふ

    ツイッターでその噂を聞きましたが,どうやら大した影響はなさそうでほっとしています.でもこのご時勢,フィルムの話題にはついビクビクしてしまいます.